平安時代末期-鎌倉時代初期1127年-1200年
三浦義澄
Miura Yoshizumi
源頼朝を支えた相模の御家人——鎌倉幕府「十三人の合議制」の長老
解説
生涯
三浦義澄は大治二年(一一二七年)、相模国の豪族・三浦義明の子として生まれた。三浦氏は相模国三浦半島を本拠とする有力武士団であり、御家人・和田義盛は義澄の甥にあたる。
源頼朝への臣従
治承四年(一一八〇年)、源頼朝が伊豆で挙兵すると、三浦一族はこれに呼応した。石橋山の戦いの後、平家方についた畠山重忠らの攻撃を受けて衣笠城が落城し、父・義明はこの戦いで討死したが、義澄ら一族は安房に逃れて頼朝と合流し、以後、鎌倉幕府樹立に至る戦いを支えた。
主要な戦歴
治承・寿永の乱を通じて頼朝方の有力な御家人として各地を転戦し、平家追討や奥州合戦にも参加したと伝わる。頼朝政権下では相模国の有力御家人として重んじられた。
十三人の合議制
建久十年(一一九九年)、源頼朝が没し、跡を継いだ源頼家が若年であったことから、有力御家人十三人による集団指導体制「十三人の合議制」が敷かれ、義澄はその一員に名を連ねた。当時すでに七十歳を超える最長老格であったと伝わる。
後世評価
三浦義澄は、頼朝挙兵以来の忠実な支持者として、また鎌倉幕府草創期を支えた宿老として位置づけられ、その死後、三浦一族は宝治合戦(一二四七年)で滅ぶまで鎌倉幕府の有力御家人であり続けた。