※画像はイメージです。鎌倉時代前期生年不詳-1239
三浦義村
Miura Yoshimura
権謀の相模武士——鎌倉政争を生き抜いた三浦一族の当主
解説
生涯
三浦義村(生年不詳-1239)は相模国の有力御家人・三浦氏の当主で、父・三浦義澄とともに源平合戦や奥州合戦を転戦した。家督を継いだ後は鎌倉幕府の内部抗争において北条氏に与し続け、有力御家人でありながら政争を巧みに生き抜いたことで知られる。
政争を生きた権謀家
1200年の梶原景時の失脚では有力御家人による弾劾に加わって景時追放に加担し、1213年の和田合戦では一族の和田義盛から挙兵への協力を求められながらも北条義時側についてこれを鎮圧に導いた。この変わり身の早さから、後世「三浦の犬は友をくらふ」と評されるほどの権謀家とみなされている。
承久の乱と晩年
1221年の承久の乱では、京にいた弟・三浦胤義から後鳥羽上皇方への加担を促す書状を受け取ったが、これを拒絶して義時のもとへ向かい、幕府軍東海道方面軍の大将の一人として上洛した。戦後は在京して戦後処理にあたり、幕府の京都における影響力確立に貢献した。1239年に没するまで、評定衆として北条氏に次ぐ地位を保ち続けた。