※画像はイメージです。源満仲
Minamoto no Mitsunaka
摂津源氏の祖・武家源氏繁栄の礎
解説
源満仲(912-997)は平安時代中期の武将であり、摂津源氏の祖として後世の武家源氏全体の礎を築いた人物である。満仲は「多田満仲」とも呼ばれ、摂津国多田(現在の兵庫県川西市)を本拠として武門の権威を確立した。藤原摂関家との密接な関係を保ちながら、武力によって朝廷や貴族を守護する「武士」という社会的地位を確固たるものとした先駆者である。
満仲は969年の「安和の変」において、源高明(みなもとのたかあきら)の謀反を密告して藤原氏の政権独占を助けたことで知られる。この政治的判断により藤原氏からの深い信頼を勝ち取り、摂津・丹波・陸奥などの要職を歴任して武門の名声を高めた。その子の頼光・頼信は各地の武士団を統率するに至り、源氏武士道の原型が形成された。
刀剣に関しては、満仲の時代は日本刀の様式が直刀から湾刀(反りのある刀)へと移行する重要な転換期にあたり、満仲自身がその変化を体験した世代に属する。摂津多田の武士団は精良な武具を好み、満仲は刀鍛冶の育成にも力を注いだと伝わる。その象徴が「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」という名刀であり、満仲の子・源頼光が大江山の酒呑童子を斬ったとされるこの刀は日本最古の名刀のひとつとして国宝に指定されている。満仲こそが武家社会と日本刀文化の出発点に立つ人物といえる。
所持した刀剣
- 童子切安綱(国宝・伝・源頼光所用)
- 摂津多田の武士団が整備した早期湾刀