※画像はイメージです。戦国時代~江戸時代初期1550-1622
真壁氏幹
Makabe Ujimoto
六尺の樫木棒を振るい戦場を駆けた常陸の豪傑——「鬼真壁」と恐れられた佐竹家の勇将
解説
真壁氏幹は天文19年(1550年)、常陸国真壁郡(現在の茨城県桜川市)に生まれた戦国武将である。真壁城主・真壁久幹の子として、佐竹氏の重臣を代々務める真壁氏の家督を継いだ。父・久幹もまた「鬼真壁」の異名で知られた剛勇の士であり、後世の軍記物『関八州古戦録』などに描かれる「鬼真壁」の武勇伝は、父子の事績が混同されて伝わっている部分も少なくないとされる。
氏幹の武勇を象徴するのが、長さ六尺(約180センチ)にも及ぶ樫木の棒である。合戦のたびにこの重い棒を振り回して敵陣に斬り込み、鎧武者を次々と打ち倒したと伝わる。佐竹氏は常陸北部を拠点に北条氏や伊達氏と抗争を繰り広げており、氏幹はその最前線で数々の合戦に参陣し、主家の存続に貢献した。豊臣秀吉による関東仕置後、佐竹氏が常陸54万石の大名として認められると、氏幹もその家臣団の重鎮として重用された。
関ヶ原の戦いで佐竹氏が徳川方に対して曖昧な態度を取ったことを咎められ、出羽秋田への減転封処分を受けると、氏幹も主家に従って秋田へ移った。晩年は戦場を離れて秋田の地で過ごし、和歌や茶の湯にも通じる文雅の一面もあったと伝わる。元和8年(1622年)、73歳で没した。剛勇一辺倒の武人としてのみならず、戦国から泰平の世へと移り変わる時代を生き抜いた佐竹家臣団の一人として、その生涯は東国武士の気風を今に伝えている。