※画像はイメージです。南北朝時代?–1336
楠木正季
Kusunoki Masasue
楠木正成の弟・湊川の武将
解説
楠木正季(くすのきまさすえ、生年不詳〜延元元年/建武3年5月25日〈1336年7月4日〉)は、南北朝時代の武将。楠木正成の弟。兄・正成とともに後醍醐天皇方(南朝)に仕え、湊川の戦いで壮絶な最期を遂げた人物として知られる。
兄・正成との行動
正季は元弘元年(1331年)の元弘の乱以来、兄・正成のもとで各地を転戦した。元弘3年(1333年)の楠木本城(上赤坂城)の籠城戦では平野将監入道のもとで副将を務め、鎌倉幕府の大軍に抵抗した。建武の新政(1334年〜)以降は、後醍醐天皇の政権を守るため近畿各地の戦闘に参加した。
湊川の戦いと最期
延元元年(1336年)5月、足利尊氏が大軍を率いて九州から反攻し、正成・正季兄弟は摂津国湊川(現兵庫県神戸市)でこれを迎え撃った。兵力で大きく劣る中、両者は奮戦するも多勢に無勢であった。『太平記』では、最期に正成が何を願うかを問うと、正季は七度生まれ変わっても同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼしたいと答え(「七生滅賊」)、兄弟は刺し違えて自害したと描かれる。享年は不明。
後世の評価
この「七生滅賊」の言葉は、正成・正季兄弟の絶対的な忠誠心の象徴として後世に語り継がれ、明治時代末期(1904年頃)からは「七生報国(しちしょうほうこく)」の語で忠君愛国の精神の手本として顕彰された。正季単独の記録は少ないが、兄の陰に隠れることなく共に最後を遂げた「弟の忠義」として武士道精神の体現者とされている。