※画像はイメージです。金森長近
Kanamori Nagachika
越前大野城主・信長の古参家臣・茶人大名
解説
金森長近(1524-1608)は、織田信長の古参家臣として長く仕え、信長死後も生き抜いて越前大野(現在の福井県大野市)の城主となった武将・茶人大名である。84歳という長寿を全うした長近の生涯は、信長・秀吉・家康という三英傑の時代を全て経験した希有なものであり、武将としての才能と茶の湯への深い造詣を併せ持つ文武両道の人物として評価される。
長近は美濃の土岐氏庶流・金森氏の出身(後に近江へ移住)であり、若くして織田信長に仕えた。信長の尾張統一から始まる一連の戦役に参加し、その忠実さと武将としての能力を評価されて重用された。1575年の長篠の戦いや、1580年代の各地平定戦においても従軍し、信長の全国統一事業を支えた古参の家臣の一人であった。
本能寺の変(1582年)後は豊臣秀吉に仕え、1575年の越前一向一揆鎮圧の功により、越前大野を与えられて大野城主となった。越前大野は山間の小盆地ながら城下町の整備が進み、長近の治世において「大野のまち」としての基盤が形成された。現在も「大野のまち」として知られる城下町の景観は、長近の時代に原型が作られたとされる。
刀剣との関わりにおいて、長近は茶人大名としての側面から刀剣文化とも深く関わった。茶の湯の文化は刀剣の鑑賞・収集文化と密接に結びついており、長近は越前の刀工を庇護するとともに、茶会において名刀を披露することもあったとされる。越前は「越前康継」などの優れた刀工を輩出した地であり、長近の庇護のもとでこの伝統は守られた。
関ヶ原の戦い(1600年)では東軍(徳川方)につき、77歳という高齢でありながら出陣した。戦後は上有知(美濃国)に隠居所を構えつつ、飛騨高山を養子・可重に譲った。84歳で没した長近は、戦国から江戸への激動の時代を武将として・茶人として全うした、戦国武将の中でも指折りの長寿者として知られている。
所持した刀剣
- 越前系の茶人刀(金森家伝来)
- 大野城の陣刀