※画像はイメージです。平安末期〜鎌倉時代初期生年不詳-1200
梶原景時
Kajiwara Kagetoki
讒言の武士——源頼朝股肱の臣にして義経失脚の黒幕
解説
生涯
梶原景時(生年不詳-1200)は相模国出身の武将で、1180年の石橋山の戦いでは当初平家方として源頼朝を追い詰めながら、敗走した頼朝を見逃して命を救ったと伝わる。翌年頼朝に臣従して以降、侍所の所司(次官)を務め、1192年には別当(長官)に昇進するなど、頼朝の信任厚い側近として幕府草創期を支えた。
義経との対立と讒言
1185年の屋島攻めに際しては源義経と船の操船法をめぐり対立(逆櫓の策論争)し、以後義経への不信を強めて頼朝に讒訴、義経失脚の一因を作ったとされる。この経緯から後世「讒言の名手」と評され、能や物語文学でも義経に敵対する人物として描かれてきた。
失脚と最期
1199年の頼朝没後、新将軍源頼家の下で御家人・結城朝光を将軍への謀反の疑いありと讒言したことが発覚すると、これに反発した有力御家人66名による連判の弾劾状が突きつけられ、景時は鎌倉を追放された。翌1200年、上洛を図る途上、駿河国の在地武士に襲われて一族もろとも討たれた(梶原景時の変)。