※画像はイメージです。安土桃山〜江戸初期1559-1628
平野長泰
Hirano Nagayasu
賤ヶ岳七本槍——唯一大名になれなかった気骨の旗本
解説
生涯
平野長泰(1559-1628)は豊臣秀吉に仕えた武将で、1583年の賤ヶ岳の戦いにおいて福島正則らとともに先陣を駆けた武功により「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた。秀吉からは「一番槍」の働きを賞され、3000石を与えられたと伝わる。
唯一大名になれなかった男
他の六人がのちに1万石を超える大名へと出世したのに対し、長泰は生涯5000石の旗本にとどまった唯一の人物となった。剛直で妥協を好まない性格が秀吉に疎まれた一因ともいわれる。関ヶ原の戦いでは東軍に与したが際立った戦功はなく、所領はそのまま安堵されるにとどまった。
後世の評価
大名にはなれなかったものの、江戸幕府のもとで旗本として家名を保ち、1628年に没した。同じ七本槍でありながら栄達から取り残された長泰の生涯は、戦国から泰平の世への移行期における武功と処世の齟齬を物語る事例として語られている。