※画像はイメージです。江戸時代後期〜明治初期1797 - 1879
千葉定吉
Chiba Sadakichi
北辰一刀流「桶町千葉」道場主・坂本龍馬の剣術の師
解説
千葉定吉(ちば さだきち、寛政9年〈1797年〉頃〜明治12年〈1879年〉12月5日)は、江戸時代後期から明治初期にかけての剣術家。北辰一刀流を創始した千葉周作の弟で、江戸京橋桶町に道場を構えたことから「桶町千葉」「小千葉」と呼ばれた。土佐藩郷士・坂本龍馬が剣術修行に通った道場の主として知られる。
生涯
陸奥国の剣客・千葉忠左衛門成胤の三男として生まれ、幼少期から兄・周作とともに父の指導で剣術を学んだ。兄・周作が北辰一刀流を創始し、江戸神田於玉ヶ池に大道場「玄武館」を開くと、定吉もその一翼を担う剣客として頭角を現した。
桶町千葉道場と鳥取藩
定吉は玄武館と区別するため、京橋桶町に独自の道場を構えた。嘉永6年(1853年)には鳥取藩の江戸詰め剣術師範「撃剣取立役」に任じられ、以後は藩務のかたわら道場を運営した。
坂本龍馬との関わり
嘉永6年、江戸に剣術修行に出た土佐の坂本龍馬が定吉の道場に入門した。定吉が鳥取藩の職務で多忙であったため、実際の指導は長男・千葉重太郎が中心に行ったとされるが、安政5年(1858年)には定吉自らが龍馬に「北辰一刀流長刀兵法目録」を授けている。
刀剣との関わり
定吉は北辰一刀流という、実戦性と合理性を重視した剣術体系のもとで、多くの門弟に刀技を伝授した。北辰一刀流は初目録・中目録免許・大目録皆伝という簡略化された段位制度を特徴とし、定吉の道場もこの合理的な稽古法によって多くの人材を輩出した。
後世の評価
長男・重太郎、次女・さな子とともに、坂本龍馬の生涯を語るうえで欠かせない人物として、後世の小説やドラマにたびたび登場する。明治12年に没し、東京・雑司ヶ谷霊園に葬られた。
所持した刀剣
- 北辰一刀流長刀兵法目録——龍馬に授けたことで知られる、実戦性を重んじる北辰一刀流の伝書。定吉が桶町道場で磨いた剣理の到達点を示す一巻