※画像はイメージです。古青江助次
Ko-Aoe Sukemitsu
解説
古青江の名工——助次
古青江助次(こあおえすけつぐ)は、鎌倉時代に備中国青江(現・岡山県倉敷市)で活躍した古青江派の刀工である。青江派は備中国を流れる高梁川のほとりに興った刀工集団で、平安末期から鎌倉中期までの作を古青江、以降を中青江・末青江と呼び分ける。助次は古青江を代表する工の一人で、その通字「次」は青江一門に共通するものである。正和元年(一三一二年)の年紀をもつ作が伝わり、年紀の明らかな古青江の作例として貴重である。
作風
助次の作は、古青江特有の「縮緬肌(ちりめんはだ)」あるいは「澪標(みおつくし)肌」と称される独特の地鉄を示す。やや暗く沈んだ地色に黒みがかった地景が走り、古雅で味わい深い景色を生む。刃文は直刃を基調に細かな小沸がつき、刃中には青江派の特色である「逆足(さかあし)」や「喰い違い刃(くいちがいば)」がしばしば現れる。穏やかながらも見どころに富む作域である。
評価と現存作
助次の在銘作には重要美術品に指定されたものがあり、古青江の確かな技量を今日に伝えている。鎌倉時代の武家に愛用され、青江派が備前・山城と並ぶ刀剣産地として重んじられたことを示す貴重な遺品である。
青江派と備中刀剣
備中国の青江派は、五箇伝(備前・山城・大和・相州・美濃)には数えられないものの、独自の作風で一時代を築いた刀工集団である。古青江の刀は朝廷や有力武家にも重んじられ、後鳥羽上皇が刀剣製作のために招いた御番鍛冶にも青江派の工が名を連ねたと伝えられる。助次もまた、こうした青江派の隆盛のなかで研鑽を重ねた工の一人であった。
「助光」表記について
本項はかつて「助光(すけみつ)」として立てられていたが、古青江一門の通字は「次」であり、標準的な刀工資料に「助光」の名は見当たらない。実在が確認できるのは「助次(すけつぐ)」であることから、表記をこれに改めた。
刀剣座と古青江助次
刀剣座では古青江助次を、年紀作を伝える古青江派の代表工として紹介する。縮緬肌と逆足に象徴される青江独自の作風は、備中刀剣の個性を今日に伝える貴重な手がかりである。
代表作
- 太刀 銘 助光(特別重要刀剣)
- 短刀 銘 助光(重要刀剣)