※画像はイメージです。石堂派(刀工系譜の道具鍛冶)現代刀
千代鶴是秀
Chiyozuru Korehide
解説
系統・流派
千代鶴是秀(ちよづるこれひで、1874〜1957年)は、本名を加藤廣といい、山形・米沢藩に代々仕えた刀工の家系に生まれた。祖父は幕末の刀工・七代加藤長運斎綱俊である。11歳の時、東京麻布で代々刀工を務めた石堂家の8代目で伯父にあたる石堂是一(寿永)に預けられ、その弟子として鍛冶の道に入った。
経歴
明治9年(1876)の廃刀令により刀剣需要が失われる中、是秀は大工道具鍛冶として修行を重ねた。19歳の頃には既に「千代鶴是秀」の鍛冶銘を定め、実際に道具を使う大工職人たちからの高い評価を得て、関東一円のみならず関西方面にもその名が知られる名人となった。
作風・評価
是秀の作は鑿・鉋にとどまらず、切出し小刀・玄翁・彫刻刀・鋏・剃刃など多岐にわたり、いずれも同種の道具を専門とする職人以上の出来と評された。実用の道具でありながら「用の美」を体現する美術的作品にまで高めた点が特色で、刀剣に例えるなら正宗にあたる存在と評される。
意義
刀工の家系に生まれながら廃刀令後の時代の変化の中で道具鍛冶に転じ、その分野で不動の名声を確立した是秀の生涯は、近代日本における鍛冶技術の継承と転換を象徴する事例として位置づけられる。