※画像はイメージです。短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)
Tanto signed Rai Kunimitsu (Meibutsu Uraku Rai Kunimitsu)
別名: 有楽来国光・織田有楽斎所持の来国光・享保名物帳所載 五千貫・名古屋刀剣博物館蔵
解説
来国光と来一派
来国光(らいくにみつ)は、鎌倉時代後期(13世紀末〜14世紀初頭)に山城国(現在の京都府南部)で活動した来一派(らいいちは)の名工である。来一派の実質的な祖とされる来国行(らいくにゆき)の孫にあたると伝えられ、父・来国俊(らいくにとし)の作風を受け継ぎながら独自の優美な短刀・太刀を多数残した。来国光の作品は国宝・重要文化財に指定されるものが複数あり、特に短刀の出来においては同時代屈指の名工と評される。
有楽来国光の概要
「有楽来国光(うらくらいくにみつ)」は、鎌倉時代後期に来国光が鍛えた短刀で、昭和30年(1955年)に国宝に指定された。刀身長は27.7センチメートル、反りなし(平造り)、身幅2.7センチメートル、茎長10.6センチメートル。地鉄(じがね)は小板目肌(こいためはだ)に地沸(じにえ)がつき、刃文(はもん)は大きく崩れたのたれ・互の目交じり(ごのめまじり)で、足・葉が細かく入り、沸が深く、小沸が厚い。来国光の作風を代表する覇気ある出来を示し、短刀としての造りの充実に加え、来派特有の品格ある地鉄の冴えが備わっている。
来歴——豊臣秀頼から織田有楽斎へ
この短刀は「名物(めいぶつ)」として江戸時代以前から珍重された。来歴としては、まず豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が所持していたことが知られる。秀頼はこれを織田有楽斎(おだうらくさい、本名:織田長益=おだながます、1547〜1621年)に与えた。有楽斎は織田信長の末弟で、茶の湯の名人として知られる武将茶人であり、有楽流の祖でもある。彼の号「有楽」が刀号に冠せられた所以である。その後、前田家(加賀藩)に長く伝わり、最終的に刀剣ワールド財団(東建コーポレーション)の所蔵に帰した。
享保名物帳への記載
徳川8代将軍・吉宗の命により本阿弥家が編纂した名刀目録『享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)』に「有楽来国光」として所載され、その評価額は金5,000貫(現在の貨幣価値で3〜4億円相当とも試算される)と記されており、当代一級の名物として高く位置づけられていたことがわかる。
現在の所蔵と公開
現在は愛知県名古屋市の名古屋刀剣博物館(刀剣ワールド財団)が所蔵し、同館の中核的な国宝刀剣コレクションの一振として展示・公開されている。来国光の手になる短刀の最高峰として、刀剣愛好家・研究者から今なお熱い視線を集める存在である。
逸話・伝説
織田信長の末弟にして茶の湯の名人・織田有楽斎(織田長益)が豊臣秀頼から拝領し、その名を冠した短刀。享保名物帳に「有楽来国光」として5000貫の高値で記され、江戸時代から最上の名物として名声を博した。