※画像はイメージです。波游ぎ兼光
Nami-yu Kanemitsu (Wave-Swimming Kanemitsu)
別名: 波游ぎ兼光・なみおよぎかねみつ・豊臣秀次介錯刀・享保名物帳所載の重要美術品
解説
長船兼光と「相伝備前」
長船兼光(おさふねかねみつ)は、南北朝時代の備前国長船を代表する刀工で、長船派4代目の惣領とされる。父・景光(かげみつ)に師事した後、相州正宗(そうしゅうまさむね)の作風——沸の深い豪壮な地鉄と荒々しい働き——を積極的に取り込み、備前の丁子乱れに相州の覇気を融合した「相伝備前(そうでんびぜん)」と呼ばれる独自様式を確立した。その大振りで力強い刀姿と個性的な刃文は、南北朝の動乱期を体現する作風として後世に広く称えられた。
名称の由来——桑名の渡し
「波游ぎ(なみおよぎ)」という刀号は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)の渡し場における伝説的な逸話に由来する。干潮のため舟が岸に着けられず、渡し客が裸で川を泳いで渡ろうとしていたところ、客同士の争いが起き、一方がこの刀で斬りつけた。斬られた人物は泳ぎ続けて対岸に辿り着き、上陸した瞬間に体が真っ二つに分かれて絶命した。その凄まじい斬れ味から「波を游ぐ(泳ぐ)」刀——「波游ぎ」という号が付けられたという。
豊臣秀次の介錯刀
文禄4年(1595年)、関白・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)は叔父・豊臣秀吉の命により高野山(和歌山県)で切腹を命じられた。このとき、秀次の家臣・雀部重政(さざべしげまさ)がこの「波游ぎ兼光」を用いて主君の介錯(首を落とすこと)を行ったとされる。その後、刀は豊臣秀吉の手に渡り、慶長2年(1597年)の朝鮮出兵(慶長の役)に際して武将・小早川秀秋(こばやかわひであき)へ下賜された。
享保名物帳への記載
徳川8代将軍・吉宗の命により本阿弥家が編纂した名刀目録『享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)』に「立花飛騨守(たちばなひだのかみ)」名義で記載される名物刀剣である。
現在の所在
重要美術品(じゅうようびじゅつひん)に認定されており、現在は大阪府茨木市の株式会社ブレストシーブが収蔵している。
逸話・伝説
伊勢国桑名の渡し場で、干潮のため裸で泳いで渡ろうとした人物が斬られ、波を泳ぎながら対岸に着いた瞬間に体が真っ二つになったという伝承が名の由来。その怪異なまでの斬れ味を物語る逸話として語り継がれている。