※画像はイメージです。栗原信秀の刀
Katana by Kurihara Nobuhide
別名: 栗原信秀打刀(新々刀期・江戸の彫刻名工)
解説
栗原信秀(くりはらのぶひで、1815〜1880)は、江戸後期から明治にかけて活躍した新々刀期を代表する刀工で、特に刀身彫刻(彫物)の名手として後世に名を残した。越後国西蒲原郡月潟村(現・新潟県新潟市)に生まれ、のち江戸に出て、水心子正秀の門弟である源清麿(みなもとのきよまろ)の薫陶を受けて鍛刀技術を磨いた。信秀の刀は、地鉄が緻密に詰んで均質な小板目肌を呈し、刃文は互の目・丁子・皆焼(ひたつら)など多彩な形式を器用にこなす。しかし最大の特徴は彫刻の技術にあり、龍・倶利伽羅不動・梵字・牡丹唐草など、刀身に施された緻密かつ力強い彫物は、同時代の追随を許さないと評された。徳川将軍家や大名への献上作が多く、幕末の激動期にあっても品格ある武具を求める武家文化の需要に応え続けた。明治維新後は廃刀令の逆風の中でも製作を続け、新政府の要人や実業家からも注文を受けた。現存作品には重要刀剣指定のものが複数あり、彫物入りの一振りは特に高値で取引される。水心子正秀→源清麿と続く「江戸新々刀の正統」を体現する刀工として、近代日本刀史において欠かせない存在である。
逸話・伝説
栗原信秀には、師匠・源清麿から「刀は魂を宿す器、彫物はその魂を可視化するものだ」と教えられ、初めて龍の彫刻を完成させた夜に炉の火が自然と消えて刀身だけが光を放ったという伝説がある。また、幕末の動乱期に倒幕派の志士が信秀の刀を求めて訪れた際、信秀は「この刀は人を斬るためではなく、天地の理を切り開くためのものだ」と言って倍の値を取ったとも伝わる。彫物に込められた不動明王の加護が持ち主を守るとも信じられており、倒れずに帰還した志士が「信秀の刀のおかげだ」と語ったという逸話も残る。