※画像はイメージです。刀 銘 信濃守国広(豊臣秀頼寄進)
Katana signed Shinano no Kami Kunihiro (Donated by Toyotomi Hideyori)
別名: 豊臣秀頼奉納刀・北野天満宮の国広・慶長十二年信濃守国広作
解説
堀川国広と慶長新刀の覇者
堀川国広(ほりかわくにひろ、1531〜1614頃)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活動した刀工で、新刀初期の大勢力となった堀川派の祖として知られる名工である。日向国(現在の宮崎県)出身で、はじめ日向の戦国大名・伊東氏に仕え、のちに京都の一条堀川に移住して工房を構えた。天正18年(1590年)に「信濃守(しなののかみ)」を受領し、以後「信濃守国広」を名乗った。
豊臣秀頼による北野天満宮本殿再建と刀の奉納
慶長12年(1607年)、豊臣秀頼(1593〜1615)は父・秀吉ゆかりの北野天満宮の本殿・拝殿などの大造営を完成させた。その竣工を記念して、秀頼はこの刀を堀川国広に鍛えさせ、北野天満宮へ奉納した。茎(なかご)の長銘には「北野天満天神豊臣秀頼公御造営之時于時慶長十二丁未十一月日信濃守国広造」と刻まれており、造営の経緯と年代、鍛刀者が明記されている。
刀の特徴
堀川に定住してからの国広は、身幅が広く切先の伸びる慶長新刀の姿に、相州伝を思わせる湾れ(のたれ)や互の目乱れ(ぐのめみだれ)を焼いた作を多く残しており、本刀もその時期の作である。
文化財指定と歴史的意義
重要文化財に指定されており、北野天満宮宝物殿に収蔵・保存されている。本刀は豊臣秀頼と堀川国広、そして北野天満宮の三者が交差する歴史的証拠であり、慶長期の最高水準の鍛刀技術と豊臣政権末期の文化的営みを今に伝える極めて重要な遺品である。国広の在銘作で年紀・奉納先まで明確に記録されている例は少なく、刀剣史研究上の価値も高い。
逸話・伝説
豊臣秀頼が父・秀吉ゆかりの北野天満宮を再建した記念として、当代最高の刀工・堀川国広に命じて鍛えさせた一振。秀頼の文化的営みと国広の技術的頂点が交差するこの刀は、大坂の陣(1614〜1615年)を前にした豊臣氏最後の隆盛期を象徴する遺品でもある。