※画像はイメージです。貞治(じょうじ/ていじ)
Jōji Era
貞治(じょうじ/ていじ)は南北朝時代、北朝方の元号(1362年10月-1368年3月)。延文期から続く大太刀流行の最末期にあたり、大山祇神社の大太刀(貞治5年紀)など長大な太刀の名品が生まれた一方、備中青江派も末青江の刀工が活動を続けた。
解説
貞治(1362-1368)は南北朝時代、北朝方(持明院統)で用いられた元号で、貞治元年10月11日(1362年)に康安から改元され、貞治7年2月18日(1368年)に応安へ改元されるまで続いた。天皇は後光厳天皇。南北朝の動乱が続き、室町幕府の政権基盤が固まっていく過程にあたる時代である。刀剣史上は、延文年間(1356-1360)から貞治年間にかけての約20年間、日本刀の形状が最も大きく変化した時期として知られ、通常の太刀をはるかに超える長大な「大太刀」が流行した。その代表例が、伊予国大三島の大山祇神社に伝わる大太刀で、貞治5年(1366)の年紀を持ち、刃長135.7センチメートルに及ぶ。作者は大和国の刀工・千手院長吉で、南朝の後村上天皇による奉納品と伝わる。大太刀は騎馬武者が徒歩の敵を薙ぎ払うための実戦刀として発達したとされ、その巨大さは南北朝動乱期の合戦の様相を今に伝えている。一方、備中国青江(現・岡山県倉敷市)を拠点とした青江派は、平安末期から続く名門刀工集団であったが、南北朝時代に入ると地元豪族・上神氏らの政争への関与とともに次第に勢力を弱めていった。この末期の作風は「末青江」と呼ばれ、次直・次吉・守次・貞次らが代表的な刀工として知られ、板目肌に小乱れの小沸がつく直刃・逆丁子刃を焼くなど、独自の作風を残した。大太刀という極端な大型化と、名門・青江派の衰退という両極端な動きが同居した点に、貞治年間の刀剣史上の特異性がある。
この時代の刀の特徴
- 南北朝時代、北朝方(持明院統)の元号(1362年10月-1368年3月)
- 延文期(1356-1360)から続く大太刀流行の最末期にあたる
- 大山祇神社の大太刀(貞治5年/1366年紀、刃長135.7cm、千手院長吉作)
- 大太刀は騎馬武者が徒歩の敵を薙ぐ実戦刀として発達
- 備中青江派が南北朝の政争に伴い勢力を弱めた時代
- 末青江の刀工(次直・次吉・守次・貞次ら)が独自の作風を継続
- 後光厳天皇(北朝)の治世