※画像はイメージです。室町時代後期〜江戸時代初期(初代:1501年頃〜、諸説あり)刀工流派
村正一派
Muramasa School
伊勢国桑名(現三重県桑名市)を拠点に室町時代後期から江戸時代初期にかけて数代にわたり活動した刀工一派。徳川家に関わる複数の凶事に用いられたとする伝承から「妖刀村正」として知られるが、実際には三河武士の間で広く用いられていたために徳川家の凶事に関わったに過ぎないとする見方も有力である。
解説
概要・活動地
村正は伊勢国桑名郡(現在の三重県桑名市)を拠点として、室町時代後期から江戸時代初期にかけて数代にわたり活動した刀工一派である。
代々の年代
史料によって諸説あるが、初代村正は文亀元年(1501年)頃、二代村正は天文元年(1532年)頃、三代村正は天正元年(1573年)頃にそれぞれ活動したとされ、名跡は江戸時代に入っても続いた。
妖刀伝説と徳川家
徳川家康の祖父・松平清康が家臣に斬殺された事件、家康の父・広忠が家臣に刺された事件、家康自身が幼少時に村正で負傷したとされる件、家康の嫡男・信康が切腹に追い込まれた事件——これら徳川家に関わる複数の凶事において用いられた刀がいずれも村正であったとする伝承から、村正は江戸時代以降「妖刀村正」として恐れられるようになった。
後世の評価
もっとも、村正は三河武士の間で広く用いられた実戦刀であり、当時流通した多くの村正のうち、たまたま徳川家の凶事に関わった数振りが後世に伝承化したに過ぎないとする見方も有力である。現在も村正の作とされる刀剣は徳川美術館をはじめとする各所に伝存しており、妖刀としての伝説とは別に、桑名を代表する刀工一派として評価されている。
この時代の刀の特徴
- 伊勢国桑名郡(現三重県桑名市)を拠点とした刀工一派で、室町時代後期から江戸時代初期にかけて数代続いた
- 初代村正は文亀元年(1501年)頃、二代は天文元年(1532年)頃、三代は天正元年(1573年)頃に活動したとされ、名跡は江戸時代に入っても続いた(史料により諸説あり)
- 徳川家康の祖父・松平清康が家臣に斬殺された事件で用いられた刀が村正であったと伝えられる
- 家康の父・広忠が家臣に刺された事件、家康自身の幼少時の負傷、嫡男・信康の切腹の際に使われた刀もいずれも村正であったとする伝承がある
- これらの伝承から江戸時代以降「妖刀村正」として恐れられるようになった
- 一方で村正は三河武士の間で広く用いられた実戦刀であり、当時流通した村正のうちごく一部がたまたま徳川家の凶事に関わったに過ぎないとする見方も有力である
代表的な刀工
初代村正 — 文亀年間(1501年頃)に活動したとされる桑名村正派の祖
二代村正 — 天文年間(1532年頃)に活動したとされる
三代村正 — 天正年間(1573年頃)から活動したとされる後継の代